堂島取引所

 どうじまとりひきじょ先物取引市場の運営会社。令和6年(2024)8月から「米穀指数先物取引」の開始が決まっている。現在は大阪府大阪市西区阿波座に本社を構える。世界最古の先物の流れを汲む取引所でもある。
 江戸時代の豪商、淀屋の二代目・言當(げんとう)が、米市(こめいち)、つまり米の現物市場を開設したのが、西暦1600年代の初頭と言われている。その後、この米市が始めたのが帳合米(ちょうあいまい)取引で、これが後の先物取引の原型とされる。元禄10年(1697)になって米市は堂島に移転、堂島米会所(こめかいしょ)を名乗る。時の幕府は8代将軍、徳川吉宗。享保15年(1730)になって、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)の名で、堂島米会所を「公許」した。これが世界的に見ても先物の最初と言われる。
 以来、日本国内で米先物取引は連綿と続いてきたのだが、「戦時統制下」を理由に昭和14年(1939)、閉鎖の憂き目に遭っている。
 この間、「戦前の堂島米穀取引所の再現をめざし、将来の米上場を視野に入れながら」設立されたのが、現在の堂島取引所の前身である「大阪穀物取引所」だ。平成5年(1993)に大阪砂糖取引所と神戸穀物商品取引所を吸収して「関西農産商品取引所」に改組。平成9年(1997)に神戸生絲取引所を吸収して「関西商品取引所」に改組。
 試験上場ながら72年ぶりに米先物が復活した時は東京穀物商品取引所(当時)との二本立てだったが、平成25年(2013)、㈱東京穀物商品取引所が米先物を関西商品取引所に移管、その他農産物先物を㈱東京工業品取引所に移管して解散、㈱東京工業品取引所は現在の㈱東京商品取引所に名称変更し、関西商品取引所も大阪堂島商品取引所に名称変更した。これにより米先物は、開祖・堂島の名を復活させた大阪堂島商品取引所に一本化された。
 その後、2年ごとに試験上場の延長を繰り返してきたものの、令和3年(2021)、監督官庁である農林水産省が本上場申請に対し「不認可」の判断を下したことをきっかけに、試験上場の継続を断念。72年ぶりに復活した米先物は10年で再び廃止の憂き目に遭った。大阪堂島商品取引所が株式会社化を経て現在の㈱堂島取引所に社名変更したのは、その後のことだ。
 令和6年(2024)6月21日、㈱堂島取引所の「米穀指数先物取引」本上場申請を、農林水産省と経済産業省が認可した。8月から取引開始の予定。

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